和食料理人の段取り  

和食料理人の段取り

板前という職業に限った話ではないかもしれませんが、作業の途中で手が止まってしまったり、一つのミスを連鎖させて動きが詰ったりしますと、周囲から見るとぎこちなく頼りなく見えてしまうものです。

ましてお客様の視線に「晒される」カウンターの対面仕事は尚更のこと。

これは、寿司のつけ場のみならず、和食洋食問わずオープン形式ならば全て同じです。店の印象を左右する非常に重要なポジションであるのは論を待たないでしょう。

ですから鮨屋の板前はカウンターデビューまでにある程度の修行が欠かせないのです。ヘマをやらかしそうな小僧を立たせて暖簾は出せません。

 

タチの仕事

火の料理である洋食と中華のベテランは、実に鮮やかにフライパンを操り、龍の舌の様に燃え上る炎を巧みに御して、見ている者の食欲を刺激する。

対して庖丁の匠である板前は、庖丁で種を切り、鉄の盛り箸で器に盛りつけるまでを流れる様に行います。それ自体が料理になってしまうところが割烹の「割」に突出した和食なのです。

火入れの下ごしらえは「煮方」が済ませ、他の全ての準備も裏方が済ませているので、「タチ」の板前はそれができるんですよ。

刺身を造る者が花板だという見方もできるんです。
煮方の方が位は上でも、「向う板」の方が華があるからですね。

煮方は火を加減し味を入れる大変に重要なポジションながら、あくまでも裏方であり、「段取り板」とも考えてよいでしょう。

煮方の仕事

※向う板
向附け(刺身)を作る板前の意で、刺場担当になるが、今は全てにおいて曖昧になっておりますので断言は出来ない。

煮方のトップである「二番」がこの「タチ」にまわる事が多いのですが、本来は「板前」の仕事です。実際は店によってマチマチで、特に決まっている訳ではありません。ケースバイケースです。

関西では板前(親方)を「立板」と呼ぶ事がありますが、これは興味深いですね。つまり「タチ」こそ板前の仕事だという意味も含んでいるかも知れません。

※板前の呼び方と序列
煮方になるにも10年。煮方以上を板前と呼ぶ時代もあったんですが、今ではアヒル(追廻し/雑用)を含めて皆が板前。シェフとセコンドのみならず、昨日調理学校から来た者までシェフと呼んでしまう洋食と同じになっているわけですな。

※セコンド
ストーブ{煮方に相当}のトップでつまり和食の二番と同じ

昔の話ですが、本来は板という呼称がつく者は店に2名だけ。
親方・親父(料理長)である「板前」と、その助手である二番の「次ぎ板」のみです。要するに板前は店に一人しかいないわけで、親方のみが板前であり、花板であり、立板なのです。かろうじて二番が脇板。あとのスタッフは「方々」であって板前ではありません。つまり「煮方」「焼き方」「洗い方」などです。
※ちなみに洗い方とは洗い物係ではなく、魚や肉や野菜を「水洗い」つまり下ごしらえする係です。その下が追い廻しの雑用係りです。

庖丁から真菜箸まで、途切れ目なく流れる様に動く。当然「まな板」の上でです。これができる様子を【板についている】と申せましょう。

右手に庖丁、左手に真菜箸を持ち、材料に一切手を触れることなく魚を捌く儀式、「庖丁式」は、この事を凝縮して示している面もあるかも知れませんね。

板前仕事の段取り

・流麗な動作の鍵は「先読み能力」

何故ぎこちない動きになってしまうのか。
その一方で流れるようにスムーズに仕事をこなせる人がいるのは何故か。

経験の違い。
「年季がちがうよ」ってのがまぁその答えになりますよね。職業が何であれ、職種に関係なく長く仕事をしてる人なら誰でも承知の事です。

だが、もう少し仔細にこの点を書いてみましょう。
経験を重ねさえすれば、誰でも身につく。そういうものではないからです。

出来ない人は何が欠けているのか。


・【板についている】板前

まず現状を正確に把握できるかどうかです。

タチの仕事をしている最中は急な坂道を登っているのと同じです。
平地をのんびり歩いているわけではないのです。

遠くを見ないとすぐ道に迷うし、足元を見ないと躓いて倒れる。
その場所全体を常に「見て把握しておく」のが重要です。

場の空気が読めないと先を読んで動くという事が出来ない。
これはうつむいて仕事をしてる板前に多いですね。

こうした人は段取り上手にもなれません。
仕事の段取りとは「一歩先を読む事」だからです。

つまり肝心な事は「先を読む」ことなのですよ。
これは心がけ次第である程度向上していくのです。

お客さんが目の前にいる。
出す料理を刺身と決める。
ではどうするか。です。

いきなり刺身を引き出す板は失格。

庖丁する地点、器を置き盛り込む地点。
これを先に頭の中に作らなきゃいけません。

すると最も合理的な動作が何か見えます。
刺身を引き出す頃には全てのセッティングが終わっている。

これを第三者から見ますと、まったく淀みがなく、まるで目が後や横にも付いているかのごとしでしょう。動作が止まらないからです。

おいらはこれを「三角測量法」と自分で呼んでいます(笑)

結果(お客)ー作用(器と盛り)ー力点(自分と庖丁)の関係。

この線の関係は頭の中では時間空間が∞です。
つまり前後関係がありません。
線内の空間全部をイメージにしているからでしょう。

今の瞬間やっている事は見ておらず、「この次」「さらに次」「もっと次」を意識して動いてるのですよ。

度々書いている「家庭における魚料理」の段取り。料理完成時点でシンクに洗い物がゼロって奴もこれと同じ意味になりましょう。

「そりゃセッカチ過ぎる」と思うかも知れませんが、逆にセッカチ者には無理です。何故ならせっかちな性格ですと、点は見えても線と空間が見えぬからです。

以前も同じ事を書きましたが、忙しくなればなるほど、腹を落ち着ける。 一歩引いた感じで現状をしっかり把握する。

周囲をよく見るという事ですな。
忙しくなれば手元しか見なくなる人が多いが、それでは駄目です。しかし、どっしり構えつつも、手の動きだけは限界まで速く。

こういうのが料理の仕事以外でもスイスイできたなら、おいらの人生もっと違っていたでしょうが、まぁこりゃ仕方がありませんね(笑)



敬老の日前後の献立や段取りも終え、予定通り少し出かけてまいる所存ですが、彼岸までには、どうにか店内の秋の装いが様になってくれるんでしょうか。

この暑さは本当にもう終わって欲しいもんですね。

和食という料理は「秋と春」が存在すればこそというのを、しみじみと感ずるこの頃です。今日も暑くなる様子です。くれぐれも熱中症にはお気をつけてすごされて下さいね。


2010年09月12日

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