消えゆくパラダイム  

消えゆくパラダイム

庖丁振るって料理を作る仕事だろうが、机に張り付く仕事、乗り物のハンドルとる仕事、お天道様浴びっぱなしの仕事、日の無い夜闇で靴の中まで凍りつかせる辛い仕事だろうがね、仕事はみな同じです。働き続けるのは楽ではないって意味で皆同じ。

でも楽じゃないからって仕事に背を向けられない。
人間の体は働くように出来ているからです。
それに働かなきゃ食べていけない。

働くからこそ食事が美味くなる。
そして酒が旨く感じるんです。

 

「仕事が楽しくて仕方ない」
そういう方は残念ながら万人に一人くらい。
普通の人は「我慢」して頑張っている。

まして「仕事でストレスが発散できる」って人は稀有。
多くは仕事にあたり緊張感をしいられます。
つまり仕事でストレスが蓄積するわけです。

蓄積したストレスは発散しなきゃいけない。
心も体もおかしくなるからです。

人々のドロドロしたストレスを吸い込んでくれる場所。
それが「眠りの無い街」でした。
仕事中に作った虚飾を拭い去れるlavatory。
見苦しく酔狂になってもそれを粋狂にしてくれる場所。

そういう所が確かに存在していました。
酔狂街と仕事人達の相関関係、
それは「昭和のパラダイム」と言えるのかも知れません。

空洞化と孤独化

paradigm shiftってのは、何も科学の世界だけで起きる現象を指すものではないようです。 社会の身近な場所から変貌が起きている感じですな。

始まりは酔狂街に行ってもストレスが発散出来ない若者たちの出現だったような気がします。

「飲みに行っても疲れるだけ」
この感覚が今の時代を象徴しているんでしょう。

人間同士のコミュケーションが希薄な時代の幕開けです。
家庭で、学校で、そして職場でも人とのつながりが無い。

人とのつながりを持つ方法が分からない。
分からないというより拒否してる感がありますね。

それはこういう事です。
人との絆を築くには背負うべきものがある
その荷物が重すぎて耐えられない

つまりは面倒な「責任」を負いたくないってこと。

日本の庶民間に特徴的だった「和の文化」が崩壊していると言っていいんじゃないでしょうか。「和」から「個」の時代へとシフトしてるんですよ、すでに。

原因は社会の隅々まで空洞化したからでしょうな。
人よりも経済を優先させてきた結果だと思います。

「面倒な責任を負いたくない」って一人暮らしの生活を楽しんでいたら、そこを「経済システム」(具体的には企業)に狙い撃ちされて、今では「責任負いたくても経済的に負えない」状況に追い詰められつつあるんです。

「人間であること」それ自体をすべて「経済」に捧げて、あるいは吸い取られてしまい、抜け殻だけになる。結果的に「カツカツに生きているだけで精一杯」って状態にまで追い込まれる。それが「経済大国」て奴の代償だったみたいですな。

得たものは「どんな場合でも自分優先」って思考回路だけ。そいつが極限まで来てるから、自分の命より重いはずの子供を置き去りにしたりするんですよ。

今この時代になっても政治家や役人達、そして多くの日本人の頭はこの「経済優先パラダイム」から抜けられない。 「人よりもゼニ」そこからどうしても抜けられません。

「個」の時代はね、これから先否応無く、
「孤独な時代」へ変質して行くでしょう。

死ぬまでひとりぼっちって方が激増するんですよ。
「孤独死」をいつまで他人事と言っていられることやら。

人の気配なき「眠りのない街」

日本から消えつつある酔狂街。
それは外国に行けばまだ健在です。

どこかの国の場末で日本の粋狂を懐かしむ。
走馬灯のように頭をよぎる昔の日本の飲み屋街での思い出、それと全然異質ではありますけどね。

その国の喧騒なバーでグラス片手に思います、
「この国も数十年後には日本みたいになっちまうのかなぁ」
どこも経済大国を夢見ている様子ですからね。

箱庭の様に隅々まで区画整理されて、美しく未来的な街並み。いずれは全てがそうなってしまうでしょう。そこは見かけは煌びやかな「眠りのない街」になるかも知れません。

しかしそこで飲んでいるのは「人」なんでしょうかね?



偉そうなゴタクを並べてしまいました。
雑踏のような眠りのない街で生まれた男の独り言です。

眠りのない街
柳ジョージ

2010年01月08日

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