現代社会に第一次産業や二次産業というものがあります様に、食品にも同じような段階があります。食べ物の場合は機能性でそれを表現していると言えるのかも知れません。『食物の機能』です。
生命の糧としての食事。
命を維持する機能を含んだ食品の摂取。
つまり栄養のあるもの。
これが食物の「第一次機能」です。
文明以前の人類を含めた野生動物はこの範疇ですな。
特徴は健康体でなければ生きられないって事です。
大怪我や病気はそのまま死につながる。
ケガは運命だが病気は回避する必要があります。
すなわち栄養バランスのとれた食物の摂取は必然。
アミノ酸、ミネラル、ビタミンが過不足しない食べかた。
偏食に思える草食獣や肉食獣も実はコイツを満たしてる。
体内構造でタンパク質を担保できる草食獣。
草食獣の内臓からビタミンミネラルを摂れる肉食獣。
野生動物にしては脆弱なヒトは雑食でおぎなった。
ヒトが文明を持ち人になり食物も餌から食事になった。
同時に動物と人間を隔てる革命が起きました。
匂いが良い、形が美しい、色もそそる、口あたりが良い、そして味が良い。すなわち「食覚」で、人間にだけある感覚の誕生。
これが食物の「第二次機能」です。
農業が始ったのは飢餓から脱して安定的な食料の供給を狙ったからばかりではありません。第二次機能により香りが良いもの、辛味があったり甘味があったりと、「好みの食べ物」を作り出したいという欲求があったのです。動物の家畜化もそうでしょう。
「どうせ食べるなら美味しく食べたい」です。
味覚が急速に進化していきます。
これは料理の始まりでもあったわけですね。
では「第三次機能」とは何か。
一言でずばり「アンチエイジング」ですかね。
第三次を「生体調節機能」と呼びます。
アンチエイジングとは抗老化医学の事で非常に分野が広く、栄養学はその一部に過ぎませんので正確な比較にはなりませんが、イメージとしてはやはりアンチエイジングがピタリきます。
生体調節機能とは読んで字のごとく。
体の機能を調節してくれる成分を含む食品を摂取する事です。
簡単に言えば「どうせなら何かしら体によいものを食べよう」ってわけですね。今という時代、そしてこれから先、まさしく「第三次機能」なのです。
この流れをみて「おやおや?」と思った方がおられるでしょう。
これは「原始返り」ですな。
「野生の時代に戻ってるんじゃないか」
「そしてそれが正しいのではないか」
大袈裟に言えば、
「人類1万年の文明は間違っていたのでは?」
「我々は農業畜産に成功した時点から自らを家畜化しているのでは」
まあそんな単純な話ではありませんけどね。
料理人というのは上の「第二次機能」にハマっている存在だということが分かりますね。「味覚」の世界。そこにドップリ浸かっているのです。
いや料理人だけではありません。社会全体がそうです。
いまや大企業も「第三次機能」を前面に押し出して、やれ健康機能食品だ、やれ健康と美と長寿だと五月蝿いかぎりですが、これらは現段階で「まぼろし」にすぎぬ事が、例えば「野菜」ひとつ例に出せば分かろうってもんですよ。
野菜は野菜として摂取するから本当の保健効果があるんです。
成分を抽出しても無駄。固体も液体も別の食物になる。
これは先端科学の力をもってしても、人間が動物と共に野生で生きた時代のエコサイクルの整合性には太刀打ちできないってことなんですよ。
自然を再現するには人間の科学はまだまだ幼稚って意味です。
おいらは時々分からなくなるんですよ。
料理人は「第二」段階で止まっているべきか、それとも「第三」を視野に入れるべきなのか。そこを行きつ戻りつしてしまうのです。
例えば、
昔教わった時代よりもビタミンCやカロチンを多く摂った方があらゆる病気や老化を防止すること等が次々に分かってきました。
けどね、味覚、食覚、これは直感的な感覚を磨くことで養われます。この感覚こそが職人の領分ってもんでしょう。
あまり科学に比重をおくと、ここを軽んじる傾向が生まれる可能性が濃い(すでに生まれてもいます)。それでいいんだろうか?
食には「薬食同源」ってのがあり、これは3千年の歴史があります。
「奢侈によりたる恥をしれば古に学ばん」とでも申しましょうか、結局のところおよそ人間が考えるであろう事柄は、すでに千年も前の知恵者が考え尽くしているんですよ。
古きを尋ねれば必ずこうした事も答が記されているんだと思います。何故そう言えるのか、それは「温故知新」なる至言中の至言も大昔の人の言葉だからです。
2009年10月07日
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Comment
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お疲れ様です。
爺の記事からゎ常々勉強させられます。
こんだけ勉強している爺が『考えさせられる』その『第三の』とやら…
俺ね 考えっ時あんだよ
『営業』ってヤツを視野から外したら どんなもんを俺ゎ お客サンに提供してんのかなぁ?ってね
勿論!今ゎ雇われの身。そんなもん考える前に マダマダやらなきゃいけネェことが 山積みなんだけどな…
けどね、これだけ『外食産業』ってヤツで飯喰ってる人間がいる時代ってのも ある意味これから数十年ジャネェのかなぁ…
だってさ 核家族化した家庭で子供達ゎ塾通いでしょ?そんな中 食事つったら
『出来合い』『即席』『出前』『外食』仕方ネェやな…商店街みりゃわかんじゃん(笑)美容院と企業資本な弁当&惣菜屋と歯医者。
そりゃ人間病むって(笑)
いつか気づくって(笑)
でも爺の言う通り自然にゃ近づけネェだろけどね
アンチエイヂングゎさ
都市型やアメチャン被れにゃ所詮無理よ
経済的に豊かな方々ゎ アンチエイヂングを銭でなんとかしようと試みてるみてぇだが笑っちまう(笑)
と…これジャ愚痴並べただけだな…
逆にね『地産地消』ってヤツが出来る時代でもあるよな今。流通の進化だね。
ここにヒントがあんヂャネ?
島国の連中が必須とするもんと大陸型との違いだな!
ツカここまで書いて眠ってた俺…スマヌ。
板前ってヤツぁ公家にも左右されネェ切符の良さと 誰からも愛される所作だろよ
理屈追うなら 栄養士か薬剤師にでもなってんジャネェかな?
今日ゎゴメン爺 俺疲れてるゎ 言いてぇことが書けネェm(__)m
Posted by 鯔次郎† at 2009年10月08日 02:30
お疲れ様鯔さん。
その通りでしてね、
板前が栄養士みたいな事を考える必要なんざありゃしません。
しかし、「砂糖味」を「旨味」としてきた近代和食。
さらしてスカスカにした野菜を「甘酢」に浸ける調理。
鮨屋ではシャリ酢に厖大な砂糖をぶちこむ。
このままでいい訳が無いのも確かなことじゃないかな。
世は大きく変わり、そして料理も変わって行く。
おいらはそう考えているんですよ。
Posted by 魚山人 at 2009年10月08日 09:31
お疲れ様です 鯔さんの考えにも共感ですし 魚山人さんが仰る砂糖や甘酢も日々違和感があると言えばあります。 美味くて綺麗 板前はこれが頭にあります 砂糖の甘さはもう身体が受け付けません 板前として致命的なんでしょうかね 色々試行錯誤してます 昔の書なんかで勉強してますと懐石のいろんな流れをみてますと、砂糖はほとんど使ってない魯山人の料理 薄口とごく少量の味醂 健やかな柑橘 塩 酒
疑問には背は向けない 板前って死ぬまで戦うもんですかね
そこが面白くもあり切なさでもあるのかな…
答えなんかないのかもしれないけど
お客さんあっての板前
それでも今日も栗を剥く…
弟が少し前に中国へ旅にいったんですが
泊まった宿で「いのちの食べ方」が永遠にブラウン管から流れていたそうです…
Posted by たいら at 2009年10月08日 11:11
こんばんは、たいらさん。
昭和の前半、日本人は甘味を渇望していました。
親たちとその親達ですよ。
子供達がかわいいから料理に砂糖を入れてくれたんです。
そして不足していた砂糖は飽和状態になって今に到ります。
友人達にはドギツイ色したソーセージや甘い玉子焼きがね、
「お袋の味」だって断言する奴が大勢います。
『深夜食堂』で出る様なやつですな。
「それのどこが悪い!」って言われたら、おいらには返す言葉はありません。それはそれで正しいからです。悪くはありません。ひかれた線路がどうであれ、その上を走る以外道はなかったんですからね。
それでも時代は容赦なく更新されます。
変わって行くんですよ世の中は。
おいらはね、
「味はいつか収斂して行く」
そう予測しております。
科学と人の感性が融合し、食材の持つたった一つの「神の味付け」に徐々に近づきいて行き、やがてそこに到達するでしょう。
はるか未来だと思いますがね。
Posted by 魚山人 at 2009年10月08日 21:40
お疲れ様です。重複コメ ゴメンね爺m(__)m
昨日ゎ
疲労困憊だったし 途中眠っちまうし…
あのさ まさか『砂糖』でくるとゎ思ゎなんざ(笑)
神奈川ゎ三崎漁港!
マグロが売りの港町。
この集落にある店ゎ 当然『マグロ』が代表商品だ
鉄火丼を注文してみ!
笑うよ-
甘くて喰えネェから…
シャリが(泣)残念!
砂糖依存シンドロームゎ
都会派よりも地方に強く根付いてますね…
蕎麦ツユなんかも当て嵌まるよね
んで たいらサン!理解してくれて アリガトです。貴方の仕事に対する気概ゎ 俺など当然 足元にも及ばネェばかりか 爺をも凌ぎますよ。
『神の味付け』←これ
もし 近い将来に現実のものにされたら 俺ら(爺も たいらサンも含め)ゎ オマンマ食い上げだな(笑)
肩肘張らずに お客様と正直に向かい合うしかネェんだ我々ゎ…それが使命だろ?
暇が続くと足がムクムんだょ
リンパマッサージも してるんだが…不景気にゃ勝てネェやな
ゴメン爺m(__)m
なんかコメしネェと
気持ち悪い感じになるもんで…
今日の重複コメゎ許してハートたち(複数ハート)
Posted by 鯔次郎† at 2009年10月09日 02:49
物事ってのはいつか必ずシンプルに戻る。
そういう気がするんですよ(^_^)
鰹節や唐墨をみてください。
あれは一つの「到達点」です。頂点ですよ。
しかし現代人が考案したものではない。
それが古きを尋ねなければいけない理由のひとつです。
そして現代人は「装飾」に凝り過ぎてかつお節を手離した。
現代の多くの知恵者が「新しきもの」を求めて日々努力を積み重ねていますけども、結局「出汁の素」は「かつお節」を凌駕できていません。
それはね、鰹節は「ひとつの味」つまり神が定めた公式の解だからだと思います。1+1が2にしかならない様に、自然の食材の真の味覚を引き出せる最高の地点はひとつしかなく、鰹の場合はあれが解答なんです。そう考えています。
次から次へと新しき料理が誕生しております。
まるでバブルの様にね。例えは悪いが皮下脂肪みたいなもんです。
砂糖や化調などなどが「衣」みたいに絡み付いた舌で現代人はそれを食べる。
だがマヒした舌や皮下脂肪は正常とは言い難い。
正常で健常なのはどう考えても原始人です。
「揺り戻し」ってのがあります。
自然は循環して常態に戻ろうとするシステムがある。
今という時代など大自然からみれば「まばたき」でしかない。
異常で無理のある現象ってのはそう長く続かない。
徐々にではあるが戻って行かざるを得ないのではないか。
「砂糖や香辛料の無かった古代人は可哀想」
そんな考えが錯誤であることが段々にわかって行く事でしょう。
気の毒なのは現代を生きる我々かも知れないのです。
しかしそれもいずれ変わる。
鰹が絶滅し、鰹節工場が廃墟になる前に。
(そう願いたい)
そういう意味なんですよ
Posted by 魚山人 at 2009年10月09日 06:25
こんにちは^^
お砂糖、今はお料理にはほとんど使いませんが、結婚したての頃には、使っていましたw
母が早くにいなくなったので、お料理も本のとおりにしか作れず、「甘い!あまい!」と、お父ちゃんにいわれ続け、
今に至っています(^_^;)
鰹節も昔は粉のお出汁でしたが、20年ほど前から、鰹節を使い出しましたが、初めての鰹節をかいてのお吸い物の味、忘れられません。
無くなって欲しくないです。
Posted by ほっこり at 2009年10月09日 13:46
こんにちは(^_^)
なくなりゃしませんよ鰹節は(^^)
いろいろなまわり道をしても最後に到達するのはひとつだけです。
どんどんスリム化していく時代に入り、結局はシンプルイズベストに戻っていく。そんな予感するんです。
希望的観測かも知れませんがそう思っていたいんですよ。
Posted by 魚山人 at 2009年10月09日 19:30