自然食がある場所  

自然食がある場所

旅はいつだって疲れた心身を癒してくれるもんですねぇ。
もっとも、旅嫌いって方にゃ逆に疲れるだけのもんでしょうけどね。

所用の旅は時期を選べませんけども、個人的な旅なら夏が始まる前と夏が終わった後を出来るだけ選んでいます。そのうえで新緑と紅葉のピーク期は避けると、混雑に遭遇する事もあまり無いです。
ともかく真夏はいけません。死にます(笑)

 

「健康な食事」から計る【子供の世界】

今年は少し良い経験をさせてもらえました。
現地で突然決まった事なんですが、子供達の前で庖丁ふるってサシミやスシを御馳走するってイベントです。段取りつけた奴は弟子筋ですから庖丁はありました。なくたった別においらはナタでもかまやしませんけどね(笑)

いやぁ~、まぁ~、子供ってのは可愛いですなぁ~(^^)

怖いツラしたオッサン板前が刃物もって入って来ても大喜び。
寿司あげたらメンタマ丸くする。

刺身サクサク切ったら全員でアヒルの合唱。
手のひらご飯粒だらけにして困り顔の子もいる(笑)

子供の素晴らしさは
【あるがまま】を受け入れる
これに尽きるでしょう。

いずれ矛盾に満ちた大人の社会に出なきゃいけないんですが、そいつに少し憤りを覚えたりもしました。ここにいる全員が幸せなればいいが、その可能性が限りなく薄いのが世の中ってやつですからね。なんでもっと「マトモ」な姿をしてやがらねぇのかい大人の社会ってやろうは。やり場がありませんな、こうした気持ちは。

ピーターパン・シンドロームって言葉があります。
揶揄と皮肉が混じった嘲りの意味で使われる事が多いです。
「大人になりきれないやろうだ」って感じでしょうかね。

しかし「ガキの我儘」だけならそうでしょうが、「子供の純粋さ」とは切り離して考えるべきでしょうな。「子供でなぜ悪い」とも言えるわけですよ。

いっそ子供達の世界を切り離して、大人の世界から隔離したらどうか。

それこそネバーランドで、現実味はまったくありませんけども、もし実現したら少なくとも大人の邪悪さから守れるし、姑息さも伝染しないかも知れませんね。世の大人達は笑うでしょうが。


とある大きな駅の構内に「オーガニック・自然食」を看板にする店があったんで入ってみました。どれどれって感じで美味そうなサンドを手に取り、裏を返してみますと、


オーガニックサンド?

「なんでぇこりゃ」
コチニール色素は赤色出しですな、「カンパリ」の色を付けるやつです。リン酸塩はハム・ソーセージには必ず入ってる、カルシウムの吸収を阻害するリン化合添加物。ビタミンCは野菜から摂れるのに、変色を嫌って色止めに使う。

いや、おいらもそうそうウルサイ事言ってもキリがないってのは承知してるんですけどね、でもこれで「オーガニック」はないでしょうよ。いくら有機無農薬の麦使おうが、工程が「外食産業のセオリー」そのまんまじゃ意味が無いって事でしょうねぇ。使わなきゃ使わないですむものを・・・・・

なんで「自然食」の看板出してるのやら。


現実の世界を深く熟知すれば、「自然食品」やら「健康食品」やらは、幻に近い事を知るはずです。

自然と健康の定義が限りなく朦朧としているからそうした言葉が跋扈している訳ですが、厳密に言えばそんな物は存在しません。

あくまでもそれを主張すれば、どこかに無理が生じます。
そこらを知っていて、なおかつ真面目な方ならこうした看板を出すのを由とはしないでしょう。恥ずかしいもの、そんな感覚は。

性格が冷ややかな訳ではありませんで、もちろん完全な「健康・自然」の料理を作って出したい気持ちは強くあるでしょう。

しかしそれを本当にやれば「莫大な経費」と「あり得ない労力」に阻まれます。「莫大な経費」と言うのはオーバーな表現ではありませんで、事実上「手の届かない金額」です。

「山深くの隠れ里に行って、一切農薬を使わず自分で作った野菜」
「北極海で釣ってきた魚」
「アフリカで捕えて来た野牛」

いえいえそんな程度の金じゃありません。
全部失格です。

今、本当に「汚染されてない自然の物」を入手する方法は、一つしかない。

『自然と完全に切り離した場所で育てる』

自然と隔離するしかないってわけです。

(実際に隔離工場で製造されている野菜もあります。完全にピュアです。勿論工場は1億や2億の金じゃ建ちません。そのうえおいらはそんなモン食いたくはありませんし、実際にその野菜が店で料理になる段では、例によって添加物まみれになっているでしょう)

なんでこんな下らない漫画のような世界になっちまったんでしょうかねぇ。これが本当に「大人の世界」なんでしょうか。

2009年06月24日

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